塾長挨拶

root 総合学習指導塾 塾長
東川 和也
『rootのあり方』

こんにちは、root総合学習指導塾塾長の東川和也です。

時代は歴史的に見て、かつてないほどの急激な変化の最中にあります。

現代を生きる子供たちは1950年代に生まれた子供と比べると、およそ100倍の情報量に晒され、精神的なストレスは4倍近くに達するそうです。それだけ目まぐるしい変化と、その対応を求められる時代ということでしょう。

教育の世界も例外ではありません。働き方改革やICT教育の導入など、教育の現場も忙しくその対応に迫られています。しかし実はもっと根本的なところに、大きな変容が見られているのです。

これまでの子供の教育と生活の場は「家庭」と「学校」でした。けれども近年、学校現場では従来の業務に加えさらに求められるものが多くなり、“学校教育制度の維持”のために割く労力は格段に増えました。また家庭では生活の維持や保護者の自己実現を叶えるために共働きが当たり前になり、両者とも本来的な教育に関わる時間が少なくなってきています。限られた時間の中で、学校だけでは賄えない部分、家庭だけでは賄えない部分がどうしても出てきてしまう。現代とはそういう時代になっています。

そんな時代に塾はどうあるべきでしょうか。

これまで塾は学校の補助的な存在、あるいは“お勉強”だけを求められ、応えればよいところでした。現在もそのイメージは根深く浸透しています。しかし大人の持つそのイメージに反して、子供たちは塾をただ“お勉強”する場所とは思っていません。先生にも親にも、時には友達にも話せないようなことを塾では話す。「学校」や「家庭」の中とは違った顔を見せる。こういった話は以前から中小私塾の実情としてよく聞かれます。もはや塾は子供たちにとって居場所の1つとなっており、子供が大人の前で最も“リアル”な姿を見せる場でもあります。これは家庭や学校にはない、スタンスの自由さを塾が持っているからでしょう。

はじめに書いた通り、現代は教育の事情が大きく変化しています。これからの時代、「家庭」と「学校」に続き、子供を見守り子供の居場所となる

教育の「第三の主体」として、塾は存在していく時代だと思っています。

「家庭」や「学校」と連携し、人格や生活も含めた“総合”的な視点から教育を施していくことが、これからの未来を担う子供たちの飛躍のためには必要なことだと思うのです。

ただ単に学校の成績や入試得点のために存在する塾ではなく、学習に特化しながら広く総合的な教育活動を行う存在でありたいと考え、私は塾名に“総合”の名を付けました。

また、近年はSNSの普及により多様な価値の氾濫が起こっています。世界はますます見えなくなり、人は安易にわかりやすい“正解”を選ぼうとしてしまう。昨今流行っているデータ万能主義や科学万能主義、お金で全てを判断するような拝金主義に似た考え方もその一つの表れかもしれません。“目で見て”わからないと考えることもできなくなってきています。

一方で優秀なAIツールの発達によって「教育とは何か」「教育の意味」ということが改めて問われています。

人が教育する時代ではない、学校に行く必要はない、塾はいらない。いろんな話が飛び交う時代になりました。確かに学習機会は学校や塾に行かなくても得られるようになりました。これ自体は本当にいい時代になったなぁと思います。

ただそのような状況で、なお価値を見出せる“人の教育”があるとすれば、それは人同士が関わる中で様々に生まれる”言外のコミュニケーション”や“コンテクスト(状況的文脈)”、そして“個人的な経験”の中で養われていく「自分が生きていく世界をどう解釈するか」という“人間の知性”を育む教育ではないでしょうか。これは(少なくともまだ)AIにはできないことなのです。

世界を解釈をすること=哲学の時代がやってきています。 rootはこの哲学という学びをこれからの指針にしていこうと考えています。

そして以上の教育の機会は、年齢や国籍、個人的特徴を問わずすべての人に与えられなければなりません。経済的な事情やそれまでの環境などによって、彼らの選択肢が狭まることは決してあってはなりません。どのような経済的事情を抱えていても教育を受けられるよう、rootは入塾テストのようなものは設けず、できる限り料金を抑え、またどのような事情を持つ学習者も伸ばすことができるよう、腕の確かな授業者が教えることを、rootのプライドにしています。

root 総合学習指導塾
塾長 東川 和也